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今日、日本において相も変わらず受験競争が加熱し、学習塾や予備校が繁栄し続けている原因は実に単純である。日本では教育を提供する側に市場原理がいっこうに働いていない。つまり文部省のみが独占的に教育内容を指定し続けているため、教育の一極集中が発生しているのだ。 この辺の事情をもっと解りやすく説明してみよう。今日、急激な変化の伴う高度情報化、工業化社会において我々は様々な価値観、情報に囲まれて暮らしている。しかしどの価値観、情報を取ってみても確実と思われるものは存在しない。「これこれの情報を吸収していったら必ず成功する。」などというマニュアルなどあるはずがないのだ。 株式市場を一つの例としてみてもその事は明らかであろう。いつ何時においても値上がりが確実な株などというものがこの世に一体あり得るだろうか。仮にそんな銘柄があればそれこそ市場全体がその一つの株に集中する。国民全体が先を争って窓口に殺到するという事態になっているであろう。しかし実際にそんな事は起こっていない。なぜなら社会の先行きは常に不確定要素に満ち満ちているからだ。それ故に個人個人は「自分はA社の株を買おう。」「いや私はB社の株を買おう。」というふうになり、むしろ競争が分散しているのである。 これと比較した時、学校教育はどうか。周知のとおり日本は情報、思想面に於いて自由社会である。しかし教育に於いては文部省が相変わらず学習指導要領とそれに基づく検定教科書によって教育内容を独占的に指定している。つまり文部省のみが特定の教育内容、カリキュラムにお墨付きを与えているのだ。とすれば世の中の生徒や親達がこの「お墨付きを受けた知識」に一斉に飛びつこうとする、集中する現象が起こるのは当然である。これが「受験戦争」のメカニズムなのだ。 つまり受験戦争を解消する方法は実に簡単なのだ。即ち、文部省による小学、中学、高校レベルの教育内容指定を解除する。学習指導要領、教科書検定制度による規制を撤廃するのだ。そして学習指導要領以外の価値観、カリキュラムも広く認める。文部省に代わり教育内容、カリキュラム決定に関する権限を私学(民間)や地方に移譲し、それぞれが競争、模索する環境を整える。そうすれば生徒間の競争は複数教育価値観のもと、分散し現在のような一極集中は無くなるのである。 受験競争ばかりではない。同様の方法により、学習塾、予備校等の問題も同時に解消する事ができる。元々、学習塾、予備校は「文部省によって指定された知識」を詰め込むための組織だ。文部省が教育内容を指定しなくなれば、もはや何を詰め込むのか分からなくなる。つまり存在意義すら失ってしまうのだ。実はアメリカに日本式の学習塾、予備校がないのはこのためなのだ。 長年、受験戦争は日本人の国民性や文化に根ざした現象だと言われてきた。しかしそれは誤解である。受験戦争は中国や韓国、つまり政府が教育内容を指定するどの国々においても発生している。戦後日本を見習い教育を国策に据えてきたアジア諸国、その他アフリカ、中南米諸国など、どちらかと言えば発展途上にある国々に於いて見られる共通の現象である。ただそれら国々では受験戦争が今日の日本ほど社会問題として認知されていないだけの話なのだ。つまりそれは今後それらの国々においても受験競争が社会問題として認識された時、日本同様の理論が適応できる事を意味する。
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